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石の橋

2017年9月25日

 錦帯橋は中央が3連のアーチ橋で、両岸につながる側径間が桁橋の5径間橋梁である。桁やアーチ部が木製なので、木造橋に分類される。そのことに異論はない。ただし、橋脚は石造であり、城の石垣の曲線に似て優美で安定感がある。河床には護床工として石が敷き詰められて橋脚や橋台基部の洗堀を防止している。

 

 橋脚・橋台や護床工の部分だけ見ると、西洋の石造アーチ橋とほぼ同じ形である。実際に、パリのコンコルド橋と錦帯橋はほぼ同じ形である。両方の正面写真を比べてみてほしい。しかも、錦帯橋の方が古い橋なのである。

 

 欧州の石造アーチ橋は、橋脚の下に洗堀防止のために船の形をした基礎部分を予め設置した。いわゆる船形橋脚である。このため、川幅の半分以上が橋脚となったものもあった。専門用語でいうと河積阻害率50%以上ということになる。ちなみに、錦帯橋は14%程度であり、現代の道路の橋梁と同じくらいである。

 

 世界の橋梁の歴史は、橋脚間の距離(S)を広げる(アーチスパンの長大化)ことと橋脚の幅(W)を薄くすること(橋脚幅の最小化)が、課題となった。A=S×S/Wという値がアーチ橋の技術進歩の指標として用いられる。洪水時を考えると、河道内にできるだけ流れを阻害しない構造が望ましい。つまり、指標Aを極大化したい。

 

 例えば中世の要塞橋として名高いヴァラントレ橋(1355年完成)はA=44である。パリのポン・ヌフ(1607年完成)で85、イタリアのフィレンツェにあるサンタ・トリニタ橋(1569年完成)で、初めて113と100を越える。都市のエレガンスを実現したイタリア・ルネサンスの快挙である。

 

 さて、この記録を飛躍的に伸ばしたのが、18世紀後半のペロネの技術である。彼の代表作であるヌイィ橋はA=394(1772年完成)となった。ちなみに、前述のコンコルド橋(1791年完成)も彼の作品で、A=333である。

 

 一方錦帯橋は、17世紀後半(1673年)に完成したが、A=261。時系列でまとめると、サンタ・トリニタ橋の記録を更新したのは、錦帯橋であり、錦帯橋の記録はペロネによって100年後に書き換えられたということになる。

 

 錦帯橋は、木造橋の稀有な構造として世界遺産を目指している。この素晴らしい木組は橋脚なしには優美な弧を空高く描くことはできないのである。城つくりと同じように、石で支えられた土台なしには、美しい姿は実現されない。